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風船葛|遊び心 ― 子どもの日を台湾で祝ういけばな

いけばな
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風船のようにふくらむ小さな緑の実。

風船葛(ふうせんかずら)は、その軽やかな姿で、私たちに「遊び心」と「自由」を教えてくれる植物です。

日本では子どもの日の頃、空に泳ぐ鯉のぼりとともに、子どもの成長を祝う象徴として親しまれてきました。

そしてここ台湾でも、端午節の季節に風が変わり街の空気が少しだけ柔らかくなるとき、この風船葛をいけるとどこか懐かしい日本の初夏の香りが蘇ります。

いけばなは、花を整えることではなく花と“遊ぶ”ことから始まります。

南国の風と和の心が出会う台湾で、いけばなを通して感じる“文化の調和”と“やさしさの形”。

風船葛とともに、あなたの心の中にも、静かな風を吹かせてみませんか。

  1. 第1章 風船葛(ふうせんかずら)という花の不思議な魅力
    1. 風船葛とは?名前の由来と学名に隠された意味
    2. h3-2 緑の風船が語る「軽やかさ」と「儚さ」
    3. 台湾での風船葛の生育環境と気候の相性
    4. h3-4 日本の子どもの日との意外なつながり
    5. いけばなで風船葛を使うときのポイントと心得
  2. 第2章 子どもの日と台湾文化 ― 祝う心の違いと共通点
    1. 日本の「子どもの日」と台湾の「端午節」
    2. 鯉のぼりと粽(ちまき) ― 空と大地の祈り
    3. 台湾の家庭に見る「子どもを守る」伝統文化
    4. 花で祝う「成長」 ― いけばなが伝える願い
    5. 日本人いけばな家が台湾で感じた“祝う心”の違い
  3. 第3章 風船葛をいける ― 遊び心を表現するいけばなの技
    1. 自然の線を生かす:蔓ものいけばなの基本
    2. 「遊び心」を形にする―自由花の構成術
    3. 台湾の花器と風船葛の相性
    4. 子どもと一緒にいける、親子いけばな時間
    5. 花が風と遊ぶ瞬間 ― 見えない“間”の美
  4. 第4章 台湾の花市場と風船葛 ― 南国で出会う日本の心
    1. h3-1 台北・内湖花市で見かける蔓ものたち
    2. 南投や嘉義の農園で育つ風船葛
    3. 台湾人にとっての「蔓植物」のイメージ
    4. 日本的“かわいらしさ”が伝わる瞬間
    5. 異国で見つける「和花」の温もり
  5. 第5章 風船葛が教えてくれる、心の“遊び”と生きる余白
    1. 完璧を求めない美しさ ― “ゆるさ”の哲学
    2. 花を通じて取り戻す童心
    3. いけばなの“間”が生む自由
    4. 風船葛に学ぶ「風を受け入れる」生き方
    5. 台湾でいけばなを続ける意味 ― 文化を越える花の言葉
  6. まとめ 風船葛とともに ― 花がくれる「遊び心」と「やさしさ」

第1章 風船葛(ふうせんかずら)という花の不思議な魅力

5月の台湾は、雨の合間に太陽が顔をのぞかせ、風がやわらかく街を撫でていく季節です。

道端のフェンスや古い家の塀に、ふと目をやると、小さな緑の風船のような実をつけたつる植物が風に揺れていることがあります。

それが「風船葛(ふうせんかずら)」です。

日本では夏のグリーンカーテンとしても知られ、種の黒地に白いハート形の模様があることから、“愛の象徴”として親しまれています。

一方で、いけばなの世界では、この植物は「風を見せる花」として特別な存在。

蔓(つる)の軽やかな線や、風に揺れる小さな実が、静かな花の世界に生命の動きを与えてくれるのです。

台湾ではまだあまり一般的ではない風船葛ですが、最近ではガーデンショップやネット通販などで少しずつ見かけるようになりました。

南国の強い日差しのもとでも、しなやかに伸びていく姿はまるで生命の軽やかさを象徴しているようです。


風船葛とは?名前の由来と学名に隠された意味

風船葛の正式な学名は「Cardiospermum halicacabum(カルディオスペルマム・ハリカカブム)」といいます。

ギリシャ語で「Cardio=心臓」「Sperma=種」という意味があり、その名の通り、ハート型の模様がついた種が特徴です。

この可愛らしい模様を見た人は、きっと誰もが少し笑顔になってしまうでしょう。

日本名の「風船葛」は、その実の形が風船のようにふくらみ、風に揺れる様子から名づけられました。

蔓が伸びて空へと軽やかに広がっていく姿は、子どもの無邪気さや自由な心を象徴しているともいえます。

台湾では「氣球藤(qìqiú téng)」と呼ばれます。

こちらも直訳すると「風船の藤」という意味で、その名の響きからも柔らかく愛らしい印象を受けます。

まだ観賞植物としての認知度は高くないものの、都市部の園芸愛好家の間では、“可愛くて丈夫な植物”として人気がじわじわと広がりつつあります。


h3-2 緑の風船が語る「軽やかさ」と「儚さ」

風船葛の実は薄い紙のような果皮に包まれており、少しの風でもふわりと揺れます。

その姿はまるで、風と一緒に遊んでいるかのよう。

しかし、時間が経つと果皮はやがて茶色に変わり、やさしくしぼんでいきます。

命の循環が、そこには静かに描かれています。

いけばなでは、この「儚さ」と「軽やかさ」をどう表現するかが鍵になります。

たとえば、風船葛を主役にするのではなく、あえて脇役にして、空間の中に“風の流れ”を見せるように使う。

そうすることで、作品全体が呼吸をはじめ、見る人の心に涼しさと柔らかさをもたらします。

風船葛のいけばなを見ていると、花材の「重さ」を取り払った先にある、見えない“風”そのものを生けているような感覚になります。

その軽やかさは、台湾の湿った風や、午後のゆっくりとした空気の流れにも、どこか似ているのです。


台湾での風船葛の生育環境と気候の相性

風船葛は熱帯・亜熱帯原産の植物であり、実は台湾の気候に非常によく合います。

日当たりと水はけの良い環境を好み、真夏の強い日差しにも負けません。

特に台北や台中などの都市部では、ベランダのフェンスや玄関の軒先にネットを張って育てる家庭も増えています。

小さな白い花が咲いたあとに、薄い緑の袋状の果実が現れると、子どもたちは「本当に風船みたい!」と目を輝かせます。

台湾では、園芸のトレンドが近年“自然でナチュラルな植物”に移行しており、風船葛のような控えめな蔓植物はその流れにぴったり合っています。

私自身も台北の花市でこの植物を見つけたとき、なぜか懐かしい気持ちになりました。

日本の夏休みに見た緑のカーテン、昼下がりに聞いた風鈴の音、そして子どものころに感じた“時間のゆるやかさ”。

台湾の空の下でも、その感覚がふとよみがえる瞬間があります。


h3-4 日本の子どもの日との意外なつながり

日本では5月5日が「子どもの日」、すなわち端午の節句です。

男の子の健やかな成長を願って鯉のぼりを揚げ、菖蒲湯に入り、柏餅を食べるという伝統があります。

この季節の花としていけばなに取り入れられるのが、菖蒲や杜若、そして時には風船葛のような“遊び心”を感じる植物です。

風船葛が子どもの日に選ばれる理由は、その「自由に伸びる蔓」と「風と遊ぶ姿」にあります。

親が子に「のびのび育ってほしい」と願う気持ちは、まさにこの花の生態と重なります。

また、種のハートマークも「愛情」や「家族の絆」の象徴としてぴったり。

花そのものが、家庭のあたたかさを表現するメッセンジャーのようです。

台湾では同じ5月ごろに「端午節(ドラゴンボートフェスティバル)」が行われます。

その季節感の重なりもあり、風船葛はいけばなを通して日本と台湾の“祝う心”をつなぐ架け橋になるのです。


いけばなで風船葛を使うときのポイントと心得

風船葛をいけるときに大切なのは、“支えすぎないこと”です。

蔓を固定しすぎると、花の自然な動きが失われ、命の線が途切れてしまいます。

あくまで風の通り道を残しながら、少しの支えで空間をつくること。

それがこの花の真価を引き出すコツです。

器選びも重要です。

ガラスや竹かご、素焼きの器など、軽やかで涼やかな素材が似合います。

台湾ならではの青磁や陶器の花器にいけても美しく、蔓の緑が南国の光の中でいっそう映えます。

そして何より大切なのは、“遊び心”を持つこと。

完璧な形を目指さず、自由に蔓を遊ばせることで、風船葛の魅力が最大限に生きてきます。

いけばなを学ぶ人にとって、この花は「花と一緒に遊ぶ」ことの楽しさを思い出させてくれる存在です。

台湾の花市場でこの植物を見つけたら、ぜひ一度手に取ってみてください。

その軽さと柔らかさの中に、いけばなの原点 ―― “生きているものと対話する喜び”が息づいていることを、きっと感じられるはずです。


第2章 子どもの日と台湾文化 ― 祝う心の違いと共通点

「子どもの日」と聞くと、多くの日本人は青空に泳ぐ鯉のぼりを思い浮かべるでしょう。

一方、台湾では同じ5月頃に「端午節(トゥァンウージェ)」という祝日があり、家々では香り高い粽(ちまき)を蒸し、川ではドラゴンボートが力強く漕ぎ出します。

日本と台湾、二つの国の文化は異なる形をとりながらも、「子どもの健やかな成長」「家族の絆」「邪気を祓う」という共通した祈りを持っています。

いけばなという芸術は、単に花を飾るだけでなく、こうした季節の節目に“心を添える”表現でもあります。


日本の「子どもの日」と台湾の「端午節」

日本では、5月5日が「子どもの日」として知られています。

もともとは「端午の節句」と呼ばれ、奈良時代から伝わる五節句のひとつ。

もとは「男の子の健やかな成長を祈る日」として、武家社会の中で鎧兜を飾る習慣が生まれ、のちに鯉のぼりや柏餅など、庶民の文化として広まりました。

一方、台湾では旧暦の5月5日が「端午節」となります。

日本とは一か月ほどずれることもあり、太陽暦では6月に行われる年もあります。

この日は、古代中国の詩人「屈原(くつげん)」を偲ぶ行事として知られていますが、その根底には「邪気を祓い、家族を守る」という強い意味が込められています。

つまり、日本が「子どもの成長」を祝う日であるのに対して、台湾では「家族全体の健康と安全」を祈る日であると言えます。

けれど、両者に共通しているのは、“生命を守り、次の世代へつなげる”という温かい願いなのです。


鯉のぼりと粽(ちまき) ― 空と大地の祈り

日本の子どもの日を象徴するのが「鯉のぼり」です。

青空を力強く泳ぐ鯉は、どんな逆境でも登っていく象徴。

中国の故事「登竜門」から生まれた発想であり、子どもが立派に成長し、人生の壁を越えることを願う心が込められています。

対して台湾の端午節では、「粽(zòng)」を家族で作り、食べることが中心になります。

粽はもち米に具材を包み、竹の葉で巻いて蒸し上げる料理で、その香りはどこか懐かしく、家庭のぬくもりを感じさせます。

粽を吊るす風景は、まるで“地の祈り”のようです。

鯉のぼりが“空に願いを放つ”象徴であるなら、粽は“地に根を張る”祈りの象徴。

いけばなに置き換えると、鯉のぼりは「立ち上がる線の花」、粽は「支える葉もの」として表現できます。

空と大地、動と静。

日本と台湾の祝祭は、まるで一つの花の中で陰陽をなすように、見事な調和を見せているのです。


台湾の家庭に見る「子どもを守る」伝統文化

台湾の端午節では、家庭ごとに古くからの護身の風習が受け継がれています。

玄関には「艾草(ヨモギ)」や「菖蒲」を束ねて吊るし、邪気を払います。

これは日本の菖蒲湯と同じ発想で、どちらも“香り”によって邪を遠ざけるという考えに基づいています。

また、子どもたちには「香包(シャンバオ)」と呼ばれる香り袋を首から下げさせます。

中には漢方の香料が入っており、病気や虫よけの意味があると同時に、母親の“守りたい”という祈りが込められています。

私は初めて台湾の端午節を体験したとき、この香包をもらって胸が熱くなりました。

日本の子どもの日で兜や鯉のぼりを飾るのと同じように、台湾でも“形を通して愛情を伝える”という文化が息づいているのです。

このような伝統行事に触れるたび、花をいけるという行為もまた、誰かの無事や幸福を祈る“目に見えない贈り物”なのだと感じます。


花で祝う「成長」 ― いけばなが伝える願い

日本のいけばなでは、節句ごとに「その時期の意味を花で表現する」という伝統があります。

たとえば子どもの日には、菖蒲を凛と立てるいけばながあります。

まっすぐな線は武士の気品を、葉の重なりは家族の絆を表します。

一方、台湾での端午節に花をいけるときは、菖蒲や蘭、蓮、香草など、香りのある植物を中心に構成するのが一般的です。

香りは“邪気を祓う”と同時に、“家の空気を清める”という意味を持っています。

では、風船葛をこの季節にいける意味とは何でしょうか。

それは、「自由」と「軽やかさ」です。

どちらの国でも、子どもたちが健やかに、自分らしく伸びていくことを願う気持ちは同じ。

風船葛の蔓が空へと伸びる姿は、その願いを花の形で表す最も自然な方法なのです。

いけばなの中で風船葛を使うと、空間全体が柔らかくなり、そこに“風”が流れます。

まるで、祝福の風が家の中をめぐるように。

花は言葉を超えて、祈りを伝える存在です。


日本人いけばな家が台湾で感じた“祝う心”の違い

私が台湾でいけばなを教えるようになってから、毎年この季節に思うことがあります。

日本では「行事」はどちらかといえば形式を重んじる傾向があります。決められた花を、決められた位置にいける。伝統の型の中で意味を守る。

一方、台湾では「行事」はもっと生活の中に溶け込んでいます。

たとえば、端午節の花をいけるとき、台湾の人々は香包や粽の葉を一緒に飾ったり、子どもの名前を短冊に書いて吊るしたりします。

そこには、“自分の手で祝う”という実感があるのです。

この違いは、いけばなの表現にも影響します。

台湾で生まれる作品には、型にとらわれない自由さがあり、それが風船葛の「遊び心」と見事に響き合います。

花を通じて祈りを表すという点では同じでも、そこに込められる感情の形は少しずつ違う。

けれど、その根底にあるのは、「大切な人を思う心」という、変わらぬやさしさなのです。

日本と台湾、二つの文化が違いを超えて出会う場所に、いけばなという“花の言葉”がある。

それを感じるたびに、私は花をいける手の中に、国境を越えた祈りのぬくもりを感じるのです。


第3章 風船葛をいける ― 遊び心を表現するいけばなの技

いけばなにおける“遊び心”とは、決して気まぐれや装飾的なことではありません。

それは、自然のままに咲く花の「自由な線」や「偶然の美しさ」を受け入れる心の柔らかさを意味します。

風船葛(ふうせんかずら)は、その象徴のような植物です。

蔓(つる)は思うままに伸び、時には意外な方向へ絡みつき、光を探して軽やかに空を目指します。

その動きはまるで子どもが風と遊ぶ姿のようで、見る人の心に“のびのびとした生命のリズム”を呼び覚まします。

この章では、風船葛をいけばなに取り入れる際の表現技法と、台湾という土地の素材を活かした組み合わせ方について解説します。

技術的なコツだけでなく、「遊び心」をいけるという精神の側面にも焦点を当てていきます。


自然の線を生かす:蔓ものいけばなの基本

風船葛をいける際にまず大切なのは、蔓の“自然の線”を尊重することです。

いけばなでは、花材を「曲げて形をつくる」のではなく、「花が持つ線を見極め、どう生かすか」を考えます。

風船葛の蔓はとても柔らかく、少しの力でも形が変わります。

だからこそ、無理に整えようとせず、手の中でそっと方向を探るように扱うことがポイントです。

特に「空間をいける」感覚が重要です。

蔓の先が空へと伸びるとき、その動線が空気を切り、空間の中に“風の道”をつくります。

いけばなは、花を詰めるのではなく、空気をいける芸術でもあります。

風船葛を主役にする場合は、支える枝や器のバランスを軽くし、風通しを感じる構成を心がけます。

脇役として使う場合は、主花のまわりにふわりと絡ませて、呼吸を感じさせるように。

日本的な「間(ま)」の美を、蔓の自由な線で表現すると、作品全体に動きと詩情が生まれます。


「遊び心」を形にする―自由花の構成術

風船葛はいけばなの中でも「自由花(じゆうか)」に向いています。

自由花とは、伝統的な型を守る生け方(立花、生花)とは異なり、花材の個性と空間の調和を重んじた現代的な表現法です。

このとき大切なのは、“花と遊ぶ”感覚です。

たとえば、蔓を花器の外に大きく流してみたり、ガラス越しに空間を横断させてみたり。

子どもが折り紙を自由に重ねるように、花の構成もまた発想の遊びから生まれます。

台湾の明るい日差しの中では、ガラスや竹籠の花器がよく似合います。

光が透け、蔓の影が壁に映ると、まるで生きた絵画のよう。

その影こそが「遊び心」の余韻です。

“決まりごと”を超えた自由な表現は、花と向き合う人の心の状態をも映し出します。

だからこそ、風船葛をいけるときは、花材の向きを決めるよりも、自分の呼吸を整えることのほうが大切なのです。


台湾の花器と風船葛の相性

台湾では、陶芸やガラス工芸が非常に盛んです。

特に鶯歌(インガー)の陶器や、台湾中部で作られる手吹きガラスは、柔らかく温かな質感を持っています。

風船葛の軽やかな緑は、こうした台湾の器に驚くほどよく映えます。

たとえば、

  • 薄い青磁の器にいければ、透明感のある初夏の風を感じ、
  • 土色の陶器なら、自然の生命力を強調し、
  • ガラス花器なら、水と光を通して“風の動き”そのものを描けます。

特におすすめなのは、「透け感のある素材」

風船葛の実は半透明で、光を通すと中の種の影がほのかに浮かび上がります。

その美しさを活かすには、花器にも“呼吸する余白”が必要です。

台湾の市場で出会う花器は、ひとつひとつが手づくりで表情豊か。

風船葛をいけるとき、器選びから始まる時間もまた、いけばなの楽しみの一部なのです。


子どもと一緒にいける、親子いけばな時間

風船葛はいけばな初心者や子どもと一緒にいける花としても最適です。

茎が柔らかく、折れにくいため、小さな手でも扱いやすい。実のふくらみや蔓の動きが楽しく、創作意欲を刺激します。

台湾では、近年「親子体験ワークショップ」や「家庭で楽しむ花育(はないく)」が広がっています。

私の教室でも、5月の子どもの日には親子いけばなのクラスを開催します。

子どもたちは思い思いに蔓を曲げ、実を触って笑い声を上げます。

その瞬間、教室全体が生命のリズムで満たされます。

いけばなは“静かな芸術”と思われがちですが、実はとても“遊びの芸術”でもあるのです。

親子で花をいけるという行為は、言葉を越えて心を通わせるひととき。

花器の中の小さな宇宙に、親と子が一緒に「自由」を描く。

それは、風船葛が持つ「つながり」の象徴でもあります。


花が風と遊ぶ瞬間 ― 見えない“間”の美

いけばなの本質は、「間(ま)」にあります。

花と花の間、花と空間の間、光と影の間。

その見えない部分にこそ、作品の呼吸と詩情が宿ります。

風船葛をいけるとき、蔓を空間の中に自由に走らせ、実を風にゆだねるように配置すると、不思議と“音”が聞こえるような静けさが生まれます。

それは風の音であり、時間の流れでもあります。

台湾の午後、窓を開けると湿った風がふわりと入り、花の実が小さく揺れる。

そのわずかな動きが、「生きている今」を感じさせてくれます。

いけばなは、動かない花をいけるのではなく、動きを感じさせる花をいける芸術。

風船葛は、その“見えない動き”をもっとも自然に伝えてくれる花材のひとつです。

花と風が遊ぶその一瞬を捉えること ―― それが、いけばなにおける「遊び心」の到達点かもしれません。


第4章 台湾の花市場と風船葛 ― 南国で出会う日本の心

花のある暮らしは、国や文化を越えて人の心をやわらげます。

台湾で生活するようになってから、私は何度も花市場を訪れました。

そこには、日本とは異なる季節の香りと、南国らしい鮮やかな色彩があふれています。

トーチジンジャーやプルメリア、ハイビスカス、蘭 ―― どれも生命力に満ちた花たちばかり。

しかし、その中でたまに、ふと目を引く「控えめな緑」があります。

そう、それが風船葛(ふうせんかずら)です。

台湾の強い日差しと湿った風の中に、そっと風船葛を見つけると、日本の初夏の記憶が蘇るような懐かしさを覚えます。


h3-1 台北・内湖花市で見かける蔓ものたち

台湾最大級の花市場といえば、台北の「内湖花市(ネイフーフアシー)」です。

週末になると、早朝から多くの人でにぎわい、花業者や一般客が入り交じって、色とりどりの花が山のように並びます。

蘭のコーナーには高貴な胡蝶蘭が整然と並び、切花の棚にはアンスリウムやトルコキキョウが彩りを競います。

そんな華やかな空間の一角に、ひっそりと蔓植物のコーナーがあります。

グリーンネックレス、アイビー、ポトス、そして時折、風船葛の小さな鉢が置かれています。

その存在は目立たないけれど、近づいて見ると、小さな白い花と緑の風船がやさしく風に揺れています。

この市場では「観葉植物」や「つる植物」は人気のカテゴリーです。

台湾の人々は、風通しの良いバルコニーや玄関先に植物を飾り、自然を生活の中に取り込むのがとても上手です。

風船葛も、そんなライフスタイルに静かに寄り添う植物として、少しずつ受け入れられつつあります。


南投や嘉義の農園で育つ風船葛

台湾の中央部、南投や嘉義のあたりは、花卉栽培が盛んな地域です。

山に囲まれた盆地の気候は、昼夜の寒暖差があり、花の色や形を豊かにします。

この地域では蘭の生産が有名ですが、最近では蔓植物やハーブの栽培も広がっています。

私は以前、嘉義の郊外にある小さな農園を訪ねたことがあります。

そこでは地元の農家が、風船葛を試験的に育てていました。

「風船のような実が可愛い」と、SNSで話題になったのがきっかけだそうです。

農家の方は笑って言いました。

「日本の人は繊細な花が好きでしょう? この風船の形、台湾の若い人にも人気ですよ。」

確かに、南国の花の中にあって、風船葛の優しい緑はどこか“和の余白”を感じさせます。

日差しの強い台湾でこの植物が育つこと自体が、まるで文化の交わりの象徴のようです。


台湾人にとっての「蔓植物」のイメージ

台湾の人々にとって、蔓植物は「生命力の象徴」として親しまれています。

蔓が伸びる姿には、「成長」「繁栄」「つながり」というポジティブな意味が込められています。

旧正月の飾りに使われる蔓や葉ものも、「長く続く幸せ」を願う縁起物とされています。

一方で、いけばなにおける蔓植物の扱いは、少し違います。

日本では蔓は「動き」を表現する素材。

静と動、緊張と緩和をつなぐ線として空間を生かす花材です。

台湾のいけばなクラスでも、最初は蔓を“支える素材”と考える人が多いのですが、実際に風船葛をいけてみると、その柔らかな動きに心を奪われます。

「風に揺れる花」という発想が、いけばな初心者の感性を開くのです。

ある台湾の生徒さんが言いました。

「この植物は、花じゃなくて“風”をいける感じがします。」

その言葉を聞いたとき、私は心の中で静かにうなずきました。

まさにそれこそ、風船葛の本質なのです。


日本的“かわいらしさ”が伝わる瞬間

台湾の花市場を歩いていると、色彩がとても鮮やかで、形も大ぶりな花が多いことに気づきます。

蘭やアンスリウム、ハイビスカスなど、生命力と存在感に満ちた花たち。

それに対して風船葛は、控えめで、繊細で、どこか“はにかみ”を感じるような植物です。

しかし、その“静けさの中のかわいらしさ”こそ、日本の美意識の核心でもあります。

台湾の人たちは、その“控えめな美”に強く惹かれる傾向があります。

  • 「可愛いけれど主張しない」
  • 「自然体で、でも心に残る」

そんな花を見つめるまなざしに、私は日本人の花感覚と通じる何かを感じます。

台湾で風船葛を使っていけばなを展示したとき、ある高齢の来場者がこう言いました。

「これは小さいけれど、とても上品。まるで詩のようですね。」

その言葉を聞いた瞬間、私は“花の言葉は国境を越える”ということを改めて実感しました。

日本的な美しさが、台湾の文化の中で新たな形で息づいている。

風船葛は、その橋渡しをしてくれる花なのです。


異国で見つける「和花」の温もり

台湾に暮らしていると、日本では当たり前に見ていた季節の花が、こちらではなかなか手に入らないことがあります。

桜や菊、芍薬などは輸入品として高価で、気軽にいける花ではありません。

だからこそ、台湾の市場で風船葛のような“和の花”を見つけると、心がふっと温かくなります。

私はよく、日曜日の早朝に内湖花市へ行きます。

まだ人の少ない時間帯、静かに店先を回っていると、風船葛の小さな鉢が、風に揺れて私を迎えてくれます。

その瞬間、遠い日本の初夏の空気が胸に流れ込んでくるのです。

異国で花をいけるということは、ただの趣味や装飾ではありません。

それは、自分の中にある“文化の記憶”を見つめ直す時間でもあります。

風船葛を通して、私は「日本の心」を思い出し、そして「台湾のやさしさ」を重ねて感じます。

花は、言葉以上に誠実な通訳者です。

和花をいけると、故郷を懐かしむだけでなく、この土地の人々と心を通わせることができる。

風船葛は、そんな“文化と心を結ぶ緑の糸”のような存在なのです。


第5章 風船葛が教えてくれる、心の“遊び”と生きる余白

いけばなを長く続けていると、ふと気づく瞬間があります。

花を美しく整えることよりも、「どれだけ余白を残せるか」が作品の深さを決めるということです。

風船葛をいけているとき、特にその感覚を強く感じます。

この植物は、形をつくろうとすると、たちまち“言うことを聞かなくなる”。

蔓が伸びたい方向へ自由に伸び、風に揺れ、思いがけないところに実をつけます。

まるで、「そのままでいい」と囁かれているような気がします。

この章では、風船葛が私たちに教えてくれる“遊び”と“余白”の意味を考えながら、台湾という土地で生けることの豊かさを見つめていきます。

いけばなは、花を通して生き方を学ぶ芸術です。

風船葛のやわらかな命の線は、私たちが忘れがちな“心のゆとり”を静かに教えてくれます。


完璧を求めない美しさ ― “ゆるさ”の哲学

いけばなを始めたばかりの頃、多くの人は「綺麗に整えよう」と思います。

枝の角度、花の高さ、葉の向き……。

けれど、花を整えすぎると、なぜか息苦しい作品になります。

風船葛は、そのことを身をもって教えてくれます。

蔓をきちんと束ねても、翌日にはするりと別の方向へ伸びています。

そこには、「自然の意思」があります。

いけばなは、自然の一部を借りて一時的に形を作るだけのもの。

本当の主役は、人ではなく花なのです。

台湾で花をいけていると、特にその“ゆるさの哲学”がしっくりきます。

湿った風、柔らかい日差し、そして人々の穏やかな笑顔。

この土地には「完璧じゃなくてもいい」という空気が流れています。

風船葛のように、自由で、少し抜けていて、でも確かに美しい。

それこそが、この南国のいけばなにふさわしい姿だと感じます。


花を通じて取り戻す童心

風船葛をいけていると、どこか懐かしい感覚が蘇ります。

子どものころ、風船ガムを膨らませたり、シャボン玉を飛ばしたりして遊んだ日のこと。

大人になるにつれて、私たちは“遊び”を忘れてしまいがちですが、花はその感覚を思い出させてくれます。

台湾の子どもたちにいけばなを教えると、彼らはすぐに花と友達になります。

  • 「この蔓、雲みたい!」
  • 「風が通る道を作ろう!」

そんな発想が自然に出てくるのです。

いけばなは、決して堅苦しい伝統芸ではなく、本来は“遊びの中から生まれた芸術”です。

自然と戯れ、季節と対話し、心のままに形を生む。

風船葛は、その“童心”を呼び覚ます花です。

大人がこの花をいけるとき、子どものように無邪気な心を取り戻すことができます。

「うまくいけよう」と思う気持ちを手放し、ただ、蔓の行く先を見守る。

その時間こそが、いけばなの本当の癒しなのです。


いけばなの“間”が生む自由

風船葛をいけると、自然と“空間”を意識します。

蔓の一本一本が空気を切り、その周囲に小さな余白を生み出していきます。

この“間(ま)”があるからこそ、花は呼吸し、見る人の心にも風が吹くのです。

いけばなの世界では、「詰めすぎる」は禁物です。

隙間を怖がる人ほど、作品が硬くなります。

しかし、風船葛を使うと、自然に“隙”ができ、それが美しさになる。

それはまるで、人生の余白のようです。

台湾の文化にも、この“間”を楽しむ感覚があります。

たとえば、午後の喫茶店で過ごすゆったりとした時間。

会話が途切れても、沈黙が心地よい。

その沈黙の中に、優しさが流れている。

花をいけることも同じです。

沈黙の空間の中に、心が解けていく。

風船葛のいけばなは、そんな“静かな自由”を感じさせてくれます。

それは、花が語らずして語る美。


風船葛に学ぶ「風を受け入れる」生き方

風船葛は、常に風に揺れています。

それは単なる偶然ではなく、この植物の生き方そのものです。

風を拒まず、すべてを受け入れながら、折れずにしなやかに伸びていく。

人生にも、思い通りにいかない風は吹くものです。

それを止めようとすると、心が折れてしまう。

けれど、風船葛のように揺れながら受け流すと、不思議と形が整っていきます。

強い風の日ほど、美しい曲線が生まれる。

それが自然のバランスです。

いけばなを通して、この“風を受け入れる生き方”を学ぶことができます。

特に台湾の気候は変わりやすく、朝は晴れていても午後には雨。

その不安定さの中で、花は今日という一瞬を懸命に生きます。

だからこそ、私たちもまた、今の風を感じ、今の形を楽しむことが大切なのです。

風船葛は、強さではなく柔らかさで生き延びる植物。

その姿は、人間にとっての「心のしなやかさ」の象徴でもあります。


台湾でいけばなを続ける意味 ― 文化を越える花の言葉

台湾でいけばなを教えるようになって十年以上が経ちました。

最初は言葉の壁もあり、文化の違いに戸惑うこともありました。

けれど、花をいける瞬間だけは、言葉がいらない。

生徒の手が花を支える、その所作の中にすべてが伝わるのです。

台湾の生徒たちは、とても感性が豊かです。

形式よりも“感情”を重んじ、花と自分の関係を大切にします。

だからこそ、風船葛のように自由で自然な花材は、彼らの感性にぴったり寄り添います。

日本で学んだ技術をそのまま伝えるだけでは、心は動きません。

台湾の文化、気候、色彩の感覚に寄り添いながら、花を通して“心の共通語”を探す。

それが、いけばな家として台湾で活動する意味だと感じています。

風船葛をいけるたびに思います。

花は国境を知らず、どの土地でも“人の心”を映す鏡です。

そして、その鏡の中に映るのは、いつも「やさしさ」と「自由」。

それを教えてくれるのが、この小さな緑の風船なのです。


まとめ 風船葛とともに ― 花がくれる「遊び心」と「やさしさ」

風船葛(ふうせんかずら)という植物をいけるとき、私はいつも少し息をゆるめます。

整えようとする手を止め、花材の行く先を見つめ、ただ蔓の伸びる方向に任せてみる。

すると、花が語りかけてくるように空気が動き、室内にやわらかな風が生まれます。

それはまるで、子どものころに風と遊んだ記憶のような、懐かしい感覚。

風船葛の“遊び心”は、形の中ではなく、心の中に生まれる自由そのものなのだと気づきます。


台湾でこの花をいけると、日本とは違った風が吹きます。

強い太陽の光、湿った空気、街のざわめき――。

そんな中でも風船葛は軽やかに蔓を伸ばし、風と共に揺れています。

その姿は、「どんな環境でも美しく生きる」ことを静かに教えてくれます。

台湾の花市場でこの植物を見つけたときの、あの少しの驚きと懐かしさ。

あれは、異国の中で“自分の原点”を見つけた瞬間でした。

和花の控えめな美しさが、南国の空気の中で新たな命を得る――。

それはまさに、文化を越えて花が語り合う奇跡のようです。


風船葛をいけばなに取り入れることは、「完璧」や「技巧」から少し距離を置くことでもあります。

花を支配するのではなく、花と一緒に遊ぶ

それが、風船葛の真の魅力です。

蔓がつくる自然の曲線、緑の実の軽やかなリズム。

その一つひとつが、わたしたちの心の中に「余白」をつくります。

いけばなとは、本来この“余白”を生ける芸術です。

形のないものを感じ、言葉にならないものを花で表す。

だからこそ、風船葛をいけるとき、人は少しだけ優しくなれるのです。


子どもの日という節目に、この花を飾る意味は深いと思います。

それは、成長を祈るだけでなく、無邪気さを忘れないようにという願いでもあります。

大人になっても、心のどこかに「遊び心」を持ち続けること。

それは、いけばなを続ける上でも、生きる上でも、同じくらい大切なことです。

台湾の生徒さんたちがいけた風船葛の作品には、いつも笑顔があります。

「きれいにできた」ではなく、「楽しかった」という言葉が先に出る。

それを聞くたびに、私は思うのです――

花は飾るものではなく、感じるものだと。


風船葛は、決して華やかな花ではありません。

けれど、その小さな風船のような実の中には、たくさんの物語が詰まっています。

風のように軽やかに、子どものように自由に。

そして、他者を包み込むように優しく。

それが、この花が私たちに教えてくれる生き方です。


もし、あなたがこの文章を読んで「少しいけてみようかな」と感じたなら、どうぞ、近くの花屋で風船葛を探してみてください。

見つけたら、難しく考えず、ただ蔓を伸ばし、器に入れてみてください。

それだけで、部屋の空気が少し変わり、風の通る音が、あなたの心にも届くはずです。

いけばなは、特別な場所や道具がなくても始められます。

風船葛のように、あなたの暮らしの中で、自由に、やさしく、花と遊んでみてください。


風船葛は、日本と台湾をつなぐ小さな架け橋。

そして、私たちの心に“風を吹かせる”小さな花。

花とともに生きる日々の中で、どうかこの緑の風が、あなたの暮らしにもやさしく流れていきますように。

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