南天|湯圓とともに迎える台湾の冬至 ― いけばなで祈る一年の締めくくり

いけばな

冬至は、一年の終わりと新しい光の始まりを告げる大切な節目です。

台湾では、この日を家族で湯圓(団子)を囲み、円満と再生を祈る特別な日として過ごします。

そこに「南天」の赤い実を生けることで、祈りはさらに鮮やかに形となり、暮らしに静かな力を与えてくれます。

本記事では、台湾の冬至文化と日本のいけばなが出会う瞬間を描き、南天や湯圓が織りなす花の物語をご紹介します。

一枝の花を手にするだけで、あなたの冬至が特別な祈りの時間に変わるはずです。

  1. 第1章 冬至という節目 ― 台湾で迎える一年の終わり
    1. 冬至の意味と台湾における特別な日
    2. 冬至の湯圓と家族団らんの情景
    3. 台湾の冬至と日本の冬至文化の違い
    4. 花が持つ「祈り」と「再生」の力
    5. いけばなが季節を彩る場面としての冬至
  2. 第2章 南天の赤 ― 厄除けと福を招く花材の力
    1. 南天の由来と「難を転ずる」という語呂の縁起
    2. 台湾の街角や市場で見かける南天の姿
    3. 南天の赤と冬至の湯圓の赤の響き合い
    4. 南天を使ったいけばなの工夫と配置
    5. 南天が持つ「一年を結ぶ象徴」としての役割
  3. 第3章 冬至の湯圓と花の饗宴 ― 文化の交差点を生ける
    1. 湯圓に込められた「家族円満」の願い
    2. 湯圓と南天を組み合わせた象徴的な演出
    3. 食と花が交わることで生まれる“祈り”の空間
    4. 台湾らしい食卓にいけばなを添える工夫
    5. 花と食文化が共鳴する「冬至の美意識」
  4. 第4章 いけばな台湾 ― 季節を生ける心と祈り
    1. 冬の花材と南国台湾の季節感
    2. 華道と台湾文化が交わるときの魅力
    3. 台湾人と日本人が共有できる「冬至の祈り」
    4. 南天以外の冬至に寄り添う花材(梅、水仙など)
    5. いけばなを通じた「文化の翻訳」としての体験
  5. 第5章 一年を締めくくるいけばなの時間
    1. 花をいけることで心を整える年の瀬
    2. 台湾の家に花を迎える新しい習慣の広がり
    3. 南天を中心にした正月準備へのつながり
    4. 花とともに迎える「静かな祈り」の時間
    5. いけばなで刻む一年の記憶と、来年への希望
  6. まとめ 南天と湯圓が導く、台湾冬至のいけばな体験

第1章 冬至という節目 ― 台湾で迎える一年の終わり

冬至。

一年の中で最も昼が短く、夜が長い日。

この節目は、日本でも「ゆず湯に入ってかぼちゃを食べる」といった習慣が知られていますが、台湾ではまた違った意味合いを持ち、特別な文化として根付いています。

台湾の冬至は、単なる季節の境目ではなく、「一年の終わり」として受け止められることが多いのです。

年越し前の小さな正月のように、家族が集まり、温かい食卓を囲み、未来への祈りを捧げる日。

それは花を生ける私たちにとっても、特別な意味を持つ時期なのです。

冬至に花を添えることで、私たちはただ季節を映すだけではなく、人々の祈りや願いを表現し、一年の区切りを花に込めることができます。

冬至の意味と台湾における特別な日

台湾では「冬至=一つの年の終わり」という感覚が強くあります。

旧暦文化が色濃く残る台湾では、冬至を境に年齢を一つ重ねるという考え方もあります。

「冬至を過ぎれば一歳年を取る」という言葉が、今も年配の方の口から聞かれることも珍しくありません。

それだけ、この日は人生や時間の節目として、人々の心に刻まれているのです。

また、冬至は農耕社会においても重要な日でした。

昼が最も短いということは、これから日が長くなることを意味します。

光が戻り、再び大地に力が宿っていく。

その再生の象徴を、人々は古くから「祈り」と「祝い」を通じて表現してきました。

冬至の湯圓と家族団らんの情景

台湾の冬至といえば、やはり欠かせないのが「湯圓(タンユェン)」です。

もち米で作られた小さな団子を甘いスープに浮かべた湯圓は、まさに家族団らんの象徴です。

赤と白の湯圓が椀の中で寄り添う姿は、家族が一つにまとまり、円満に過ごすことを願う心そのもの。

冬至の夜、台所では母や祖母が湯圓を丸め、鍋で茹で上げる姿が見られます。

小さな子どもたちはその周りで「もっと大きく!」「小さい方がおいしいよ」と笑いながら団子を丸め、家族全員でその工程を楽しむのです。

花を生ける私にとって、この「丸い」姿は、南天の赤い実や水仙の球根のフォルムとも重なり合い、まさに生命と祈りの象徴として心に響きます。

台湾の冬至と日本の冬至文化の違い

日本の冬至は、どちらかというと「無病息災」を願う日として知られています。

柚子湯に入って体を温め、かぼちゃを食べて栄養を補う。

暗い季節を乗り切るための知恵が中心です。

それに比べて台湾の冬至は、より「家族」と「団らん」に重点が置かれているように感じます。

日本では冬至が過ぎれば静かに新年の準備へと気持ちが向かいますが、台湾では冬至そのものが小さなお正月のように祝われる。

どちらも冬至を大切にしている点では共通しますが、表現の仕方が異なるのです。

その違いを理解することは、いけばなを台湾で広める上でも非常に大切です。

花を通じて、両国の文化の違いと共通点を「見える形」にすることができるのです。

花が持つ「祈り」と「再生」の力

冬至は「終わり」であり、同時に「始まり」でもあります。

その境目に、花を生ける意味は深いものがあります。

花はただ咲いて散るだけではありません。

散った後にも種や球根が残り、再び芽吹いていきます。

その営みは、まさに「再生」の象徴であり、人々が冬至に願う「新しい一年の希望」と重なります。

例えば、水仙の凛とした白い花は冬至にふさわしい清らかさを表現し、南天の赤い実は「難を転じて福となす」という祈りを形にしてくれます。

これらをいけばなに取り入れることで、ただ美しいだけではなく、人々の心に響く深いメッセージを込めることができるのです。

いけばなが季節を彩る場面としての冬至

台湾で冬至を迎えるとき、食卓や仏壇に花を添える家庭はまだ少ないのが現状です。

しかし、近年では都市部を中心に「冬至に花を飾る」という新しい習慣が少しずつ広がりつつあります。

湯圓の丸さと花の生命力を組み合わせることで、食と花が響き合い、家族の時間がより豊かなものになるのです。

いけばなは単なる装飾ではなく、「時間の区切りを刻むもの」でもあります。

冬至という節目に花を生けることで、人々は心を整え、一年を振り返り、次の一年へと気持ちをつなげていく。

台湾で暮らす人々にとって、いけばなは文化の架け橋となり、日常の中で静かな祈りを形にする新しい手段になるのではないでしょうか。


第2章 南天の赤 ― 厄除けと福を招く花材の力

冬至に花を添えるとき、欠かすことのできない存在。

それが「南天」です。

南天は古くから日本でも台湾でも、厄除けや福を呼び込む象徴として親しまれてきました。

その赤い実は冬の寒さの中でひときわ鮮やかに輝き、人々の目を惹きつけます。

冬至の湯圓と同じように「円」や「赤」を通じて幸福を願う南天は、花材として非常に強い力を持っています。

この章では、南天が持つ象徴的な意味、台湾での存在感、いけばなに取り入れる際の魅力について掘り下げてみたいと思います。

南天の由来と「難を転ずる」という語呂の縁起

南天という名前には、特別な響きがあります。

日本では「南天」を「難を転ずる」にかけ、古くから縁起の良い植物とされてきました。

お正月飾りや仏前の供花にもよく用いられ、家族を守る象徴として暮らしに根付いています。

その語呂合わせは単なる言葉遊びではなく、人々の不安や災厄を花に託してきた歴史の表れです。

台湾でも、南天の実はお守りや飾り物として見られることがあります。

市場や花屋では、赤い実を束ねて玄関や店先に飾る人々の姿を目にします。

赤色は中国文化において「喜び」「繁栄」「邪気払い」の色であり、南天の赤い実はそのまま幸福のシンボルとして受け入れられてきたのです。

台湾の街角や市場で見かける南天の姿

冬至や春節の前になると、台北の迪化街や台中の第二市場など、伝統的な市場の花売り場に赤い実の枝が並びます。

それは南天であったり、または赤い唐辛子の飾りと一緒に売られていることもあります。

台湾の人々にとって、赤い実は「年の瀬」を感じさせる風物詩のひとつなのです。

台北に暮らしていると、マンションの入り口に小さな南天の鉢植えを置いている家庭を見かけることがあります。

それは「家族が一年を無事に過ごせるように」という祈りの形であり、日本での縁起物の感覚とも通じます。

こうした風景を見ると、南天が国や文化を越えて人々の心に寄り添う花材であることを実感します。

南天の赤と冬至の湯圓の赤の響き合い

冬至に欠かせない湯圓は、赤と白の小さな団子が器の中で揺れています。

その「赤」と「白」の対比は、南天の実と雪景色のような背景にも重なります。

台湾では雪は滅多に降りませんが、冬の冷たい空気の中で赤い南天の実が際立つ様子は、まるで自然の中に描かれた絵画のようです。

湯圓を囲む食卓に、赤い実の南天を添えれば、色彩の共鳴が生まれます。

湯圓が「家族の絆」を表すなら、南天は「その絆を守り抜く力」を象徴する存在です。

両者を同じ場に置くことで、目に見えない祈りがより強く形となり、人々の心に残るひとときとなるのです。

南天を使ったいけばなの工夫と配置

南天をいけばなに取り入れる際に重要なのは、その「線」と「実の配置」をどう活かすかです。

南天の枝はややしなやかで、実は房状に連なっています。

その流れを生かして斜めに配置すれば、空間に動きが生まれます。

また、実の赤を際立たせるために、背景には白い花器や明るい和紙を選ぶのも効果的です。

冬至のいけばなでは、南天を主役に据えるだけでなく、水仙や梅の枝と組み合わせることで季節感がより豊かになります。

南天の赤が花全体を引き締め、他の花材を引き立ててくれるのです。

台湾では、南天と蘭を組み合わせるのも一案です。

蘭の気品と南天の赤の強さが響き合い、アジアらしい冬至のいけばなが生まれます。

南天が持つ「一年を結ぶ象徴」としての役割

冬至のいけばなに南天を選ぶことは、単なる美しさのためではありません。

南天は「難を転じて福となす」という言葉の通り、一年の厄を払い、新しい年の幸福を願うための象徴的な花材です。

湯圓とともに食卓を彩れば、その場は単なる家族の団らんを超えて「祈りの空間」となります。

台湾に暮らす人々にとっても、日本から来た文化を持つ人々にとっても、南天は共通の象徴として理解されやすい植物です。

国を超えて受け入れられる花材を用いることは、いけばなが文化の架け橋となる大きな力になるのです。

冬至に南天を生けることは、まさに「一年を結び、新しい一年へ橋をかける」行為なのです。


第3章 冬至の湯圓と花の饗宴 ― 文化の交差点を生ける

台湾の冬至を語るうえで欠かすことができないのが「湯圓」です。

丸い団子を甘いスープに浮かべた湯圓は、ただの食べ物ではなく「家族が円満に過ごせるように」という祈りを形にしたものです。

冬至の夜、湯圓を口にすることは、一年の区切りを祝い、新しい年に向かうための儀式でもあります。

そして、その湯圓の円や赤と白の色彩は、南天や水仙といった冬の花材と深く呼応します。

食と花が交差するとき、そこには文化を超えた饗宴が生まれます。

この章では、湯圓といけばなが織りなす新しい表現の可能性を探っていきます。

湯圓に込められた「家族円満」の願い

湯圓の歴史は古く、元々は中国南方の冬至の習慣から広まりました。

もち米を粉にして練り、小さく丸めて茹でる。

その形は「団圓(家族が円満に集う)」を象徴しています。

台湾では、甘いスープに浮かべるものが一般的で、胡麻や落花生の餡を包んだ湯圓も人気です。

赤と白の湯圓は、紅白の祝いと同じように、喜びと調和を表します。

冬至の夜、家族が一緒に湯圓を食べることは、「新しい年を共に迎える準備ができた」という合図です。

大切な人と同じ器から同じ湯圓を分かち合う行為には、血縁や絆を再確認する意味が込められています。

その「丸さ」は、花の世界においても大切なテーマであり、花器や花材の形に宿る普遍的なシンボルなのです。

湯圓と南天を組み合わせた象徴的な演出

もし湯圓のある食卓に、南天を一枝添えたらどうでしょうか。

赤い湯圓と南天の実が響き合い、場の空気に一層の祈りの色が宿ります。

湯圓は「円」、南天は「難転」。

両者を組み合わせることで「難を転じて家族円満」という物語が浮かび上がります。

実際、私が台北で冬至に花を生けるとき、湯圓の器と花器を並べ、空間全体で一つの作品とすることがあります。

花器には南天と白い水仙を生け、湯圓の器の赤と白と重ね合わせるのです。

その場に座る人々は自然と笑顔になり、花と食べ物が互いを引き立てる新しい和合を感じ取ります。

食と花が交わることで生まれる“祈り”の空間

食卓に花を置くことは、決して特別なことではありません。

しかし、冬至の夜に湯圓と花が並ぶと、それは単なる飾りではなく、祈りを体現する空間に変わります。

甘い湯圓の香りと南天の赤い輝き、水仙の清らかな香りが交差するその場は、五感すべてを使って「冬至」という節目を体験する時間となります。

台湾の人々にとって「食」は文化の中心です。そこに花を組み合わせることで、より深い意味が生まれます。

例えば、湯圓の丸さが「永遠」を象徴するなら、花は「今この瞬間の美しさ」を映し出す。

両者が揃うことで、時間の流れそのものが一つの作品となるのです。

台湾らしい食卓にいけばなを添える工夫

台湾の冬至の食卓は、湯圓だけでなく、豚足の煮込みや薬膳スープなど滋養を意識した料理も並ぶことがあります。

その力強い料理の傍らに、繊細な花を置くことは、一見すると不釣り合いに思えるかもしれません。

しかし、いけばなの面白さは、そうした異質なもの同士を響き合わせることにあります。

例えば、丸い陶器の器に南天と白い花を低く生け、料理の色彩とバランスをとる。

あるいは、竹籠に花を生けて、素朴さと食卓の温もりを繋げる。

台湾の生活空間は日本に比べて狭いことも多いですが、小さな一輪の花でも十分に場を変える力を持っています。

大切なのは「食」と「花」を別々のものとして置くのではなく、ひとつの時間を共にする存在として並べることです。

花と食文化が共鳴する「冬至の美意識」

冬至に湯圓を食べるという習慣は、食を通じて祈りを形にする文化です。

そこに花を添えることは、視覚的にも精神的にも祈りを深める行為です。

台湾の人々にとって花はまだ日常の中で「特別なもの」と捉えられることが多いですが、冬至のような節目に花を加えることで、「特別」が「日常」に少しずつ広がっていきます。

冬至という暗闇の中で光を待つ日に、丸い湯圓と赤い南天を重ね合わせること。

それは単に文化の融合ではなく、人々の心に「未来への希望」を生けることにほかなりません。

花と食が共鳴するとき、そこに生まれるのは「冬至の美意識」です。

これは日本でも台湾でも、共通して人々の心に響く普遍的な体験なのです。


第4章 いけばな台湾 ― 季節を生ける心と祈り

冬至の夜に湯圓を食べ、南天を生ける。

その光景は、台湾におけるいけばなの可能性を示す象徴的な一場面です。

いけばなは日本で生まれた芸術でありながら、台湾の暮らしや文化の中に根づくことで、新たな意味を帯びていきます。

四季が日本ほど明瞭ではない台湾では、花と季節をどう結びつけるかが一つの課題になりますが、その一方で、熱帯・亜熱帯の豊かな植生が独自の美意識を生み出しています。

本章では、冬の花材を中心に、台湾におけるいけばなの季節感、文化との交わり、祈りの形について考えていきます。

冬の花材と南国台湾の季節感

台湾の冬は、日本のように雪景色に包まれることは稀です。

台北でも気温が10度を下回ると「寒い」と感じるほどで、南部では冬でも日中は20度前後になることもあります。

こうした気候では、日本で冬を象徴する椿や南天が身近にないこともあります。

しかし、輸入や栽培によって冬の花材が市場に出回るようになり、最近では台湾の花屋でも南天や水仙を見かける機会が増えました。

また、台湾特有の冬の花として、蘭や火鶴花(アンスリウム)、トーチジンジャーなどが挙げられます。

これらは南国らしい鮮やかな色彩を持ち、日本の冬に欠けがちな「明るさ」を補ってくれます。

南天の赤と、台湾ならではの蘭の紫や白を合わせることで、伝統と現代性、そして南北の文化を一つにまとめることができるのです。

華道と台湾文化が交わるときの魅力

台湾では、花は贈り物や祭祀の場面で多く用いられます。

特に、開業祝いや選挙の当選祝いの際に見られる大きなスタンド花は、台湾ならではの華やかな花文化です。

そこに日本のいけばなの「間」を生かす美意識を重ねると、全く新しい表現が生まれます。

例えば、台湾の人々が慣れ親しんでいる豪華な蘭の鉢植えに、南天の赤い実を添えると、祝いの意味がより深まります。

華やかさの中に凛とした祈りが宿り、単なる装飾を超えた「精神性」を人々は感じ取ります。

華道が持つ「空間に祈りを生ける」という特質は、台湾文化の根底にある「祖先を敬う心」や「団欒を大切にする心」と親和性が高いのです。

台湾人と日本人が共有できる「冬至の祈り」

冬至を迎えるにあたり、台湾人も日本人も共通して「家族の健康」「新しい年の幸福」を願います。

文化的な違いはあっても、祈りの根っこは同じです。

そこにいけばなが介在することで、二つの文化を結ぶ橋がかかります。

私は台北で開いた冬至のワークショップで、南天と水仙を使った小さな作品を参加者と一緒に生けたことがあります。

台湾の方々は「南天」という植物の名前に馴染みがなくても、その赤い実を見てすぐに「おめでたい」「幸福の色」と感じ取りました。

日本人の参加者は「難を転ずる」という意味を説明し、両者が自然に共感し合う場面が生まれました。花は言葉を超えて、祈りを共有する媒体となるのです。

南天以外の冬至に寄り添う花材(梅、水仙など)

南天だけでなく、冬至のいけばなにふさわしい花材は他にもあります。

例えば「梅」。

台湾では梅は「梅花」と呼ばれ、国花として大切にされています。

厳しい寒さの中でも咲く梅は、忍耐と希望の象徴であり、日本でも「新春を告げる花」として愛されています。

冬至に梅を生けることで、「暗闇を超えて新しい光へ」というメッセージを強く伝えることができます。

また、水仙は台湾でも栽培されており、特に旧正月の頃によく飾られます。

その清らかな香りと白い花弁は、冬至にふさわしい清浄さを持っています。

南天の赤と水仙の白を合わせると、まさに紅白の対比が生まれ、祈りと祝福を表現することができます。

いけばなを通じた「文化の翻訳」としての体験

いけばなを台湾で広めるとき、単に日本のやり方をそのまま伝えるだけでは十分ではありません。

台湾の人々の生活や文化に寄り添いながら、「翻訳」することが大切です。

例えば、日本では冬至といえば柚子湯ですが、台湾にはその習慣はありません。

そこで私は、柚子の代わりに台湾でよく見られる金柑や文旦を花材に取り入れ、冬至の作品に応用することを提案しています。

文化を翻訳するとは、単に置き換えることではなく、相手の文化に寄り添いながら共通点を見出すことです。

冬至に南天を生けることも、その一つの試みです。

台湾では「赤は福を招く色」として共通の認識があるため、日本的な「難転」の意味を重ねてもすんなりと受け入れられるのです。


第5章 一年を締めくくるいけばなの時間

冬至を迎えるということは、一年の終わりを迎えることでもあります。

台湾に暮らす人々にとって冬至は単なる暦の節目ではなく、家族が集まり、心を一つにして新しい年を迎える準備を整える大切な行事です。

そこに花を生けることは、時間を美しく結ぶための行為でもあります。

本章では、「一年を締めくくるいけばなの時間」をテーマに、花をいけることがいかに心を整え、家族や社会に豊かな意味をもたらすのかを考えていきます。

花をいけることで心を整える年の瀬

年の瀬になると、どんな人でも少なからず心がざわつくものです。

一年を振り返れば、嬉しい出来事もあれば、悔しい思い出や心残りもあります。

そうした感情をそのまま抱えたまま新しい年を迎えるのではなく、花をいける時間を持つことで心を整理することができます。

南天の赤い実を一枝手に取り、水仙の白を添え、器に向き合う。

その静かな所作の中で、自分の心が少しずつ落ち着いていくのを感じます。

花をいけることは単なる趣味や装飾ではなく、心を鎮め、祈りを形にする時間なのです。

年末の慌ただしさの中だからこそ、花と向き合うひとときが大切になります。

台湾の家に花を迎える新しい習慣の広がり

台湾ではこれまで、家庭で花を飾る習慣は日本ほど強くありませんでした。

花は贈答用や祭祀用というイメージが強く、日常生活に取り入れる発想は少なかったのです。

しかし近年、若い世代を中心に「暮らしの中に花を」という意識が広がりつつあります。

インテリアショップやカフェで見かける小さな花瓶、あるいはSNSに投稿される日常の花の写真。

こうした新しい流れの中で、いけばなは「暮らしに根づく花文化」として再び注目を集めています。

冬至の時期に南天を飾ることは、台湾にとってまだ新しい習慣かもしれません。

しかし、湯圓と同じ「赤と白」の色を持つ花を家に迎えることは、自然と人々の心に響くのです。

家族と囲む食卓に花を置くだけで、その時間が祈りの場へと変わっていきます。

南天を中心にした正月準備へのつながり

冬至に南天を生けることは、そのまま新年を迎える準備にもつながります。

南天は縁起の良い植物として正月飾りにも用いられることが多く、冬至から正月へと連続性を持たせることができます。

例えば、冬至に南天と水仙を飾り、正月にはそこに松や竹を加える。

そうすることで、冬至から新年までの「祈りのリレー」が完成します。

台湾の家庭でも、旧正月の飾りつけの中に南天を取り入れることは十分に可能です。

南天の赤は紅包(お年玉袋)の赤と共鳴し、花を通じて「福を招く」メッセージを強調することができるのです。

花とともに迎える「静かな祈り」の時間

冬至や年の瀬は、にぎやかな行事であると同時に、静かに祈る時間でもあります。

祖先を思い出し、家族の健康を願い、自分自身の一年を振り返る。

こうした時間に花を添えることで、その祈りは目に見える形となり、空間全体に宿ります。

花は声を持たないけれど、その姿は雄弁です。

南天の赤い実は「困難を転じて福となす」と語りかけ、水仙の白は「清らかな心で新しい年を迎えよう」と囁きます。

人が言葉にできない願いや想いを、花が代わりに伝えてくれるのです。

いけばなで刻む一年の記憶と、来年への希望

一年の終わりに花を生けることは、その年を振り返る行為でもあります。

春に咲いた梅や桜、夏の蓮、秋の菊、そして冬の南天や水仙。

花を通してその年の記憶をたどることができるのです。

いけばなは単に「瞬間の美」を作り出すだけでなく、その背後にある時間を記録し、未来へと橋をかけるものでもあります。

冬至に南天を生けることで、その一年のすべての想いを一枝に託す。

そしてその祈りを次の年へとつなげる。

いけばなは時間を超える芸術であり、花を通じて人の心を未来へと導いてくれるのです。


まとめ 南天と湯圓が導く、台湾冬至のいけばな体験

冬至は、一年の中で最も昼が短く、夜が長い日です。

その闇の深さの先に、光が再び生まれていく。

そんな「終わり」と「始まり」を抱えた節目の日を、台湾の人々は特別に大切にしてきました。

赤と白の湯圓を家族で囲み、円満と再生を祈る習慣は、台湾独自の温かい文化です。

その傍らに南天の赤い実を添えることで、祈りはさらに強く、鮮やかに形を持ちます。

南天は「難を転ずる」という言葉の響きを持ち、日本では古来より縁起物として親しまれてきました。

台湾においても、赤は幸福と繁栄を象徴する色。

南天と湯圓は、国を超えて響き合う普遍的な祈りのシンボルなのです。

食卓に並ぶ湯圓と花器に生けられた南天。

その共演は、目に見えない「希望」を形に変え、家族や仲間の心をひとつに結びます。

いけばなは単なる装飾ではなく、時間を生ける行為です。

一年を締めくくる冬至に花を生けることは、心を整え、過ぎ去った時間を受け止め、未来へとつなげる祈りの儀式でもあります。

南天や水仙、梅といった花材は、それぞれに「厄を祓う」「清らかさ」「忍耐と希望」といった意味を宿し、冬至の祈りを豊かに彩ってくれるのです。

台湾の冬至にいけばなを取り入れることは、文化の架け橋を築くことでもあります。

湯圓の丸さが「永遠」を表すなら、花は「瞬間の美」を映す。

両者を組み合わせることで、時間の流れそのものを作品に変えることができます。

それは台湾人と日本人、異なる文化を持つ人々が共有できる「祈りの美意識」として、未来へと広がっていく可能性を秘めています。

この冬至、ぜひ一枝の南天を手に取り、花器に挿してみてください。

湯圓を囲む食卓の隣に置くだけで、その場は特別な空間へと変わります。

花と食が響き合い、祈りが形を持つ瞬間を、あなた自身の手で生み出してみてください。

いけばなは、特別な技術がなくても始められるものです。

一輪の花に心を込めれば、それがすでにあなたの祈りの表現になるのです。

一年の終わりに、南天と湯圓とともに花をいけることは、未来を迎えるための最も静かで力強い祈りです。

台湾で暮らす私たちが、この冬至を境に新しい一年へと心をつなげていけるように、花の力を信じてみませんか。

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