台湾に住んでいても、ある日ふと風に乗って届く香りに、思わず日本の秋を思い出すことがあります。
甘くやさしく、そしてどこか切ないその香り――それは金木犀(キンモクセイ)。
今回は、そんな金木犀の香りをテーマに、台湾の秋の行事「重陽節」と、いけばなの静かな祈りの時間についてお話しします。
いけばなに興味はあるけれど、何から始めたらいいかわからない。
花をいける意味ってなんだろう?
そんなあなたにこそ届けたい、香りと想いが交差するこの季節の物語。
香りをいけるという体験が、心の奥深くに響くひとときになることを願って――。
台湾の秋に香る金木犀 ― 街角に咲く“記憶の花”
なぜ金木犀の香りは「記憶」を呼び覚ますのか
金木犀(キンモクセイ)の香りを一度かいだことがある人なら、その記憶は長く心に残っているはずです。
どこからともなく漂うあの甘く優しい香りに、ふと足を止めて深呼吸したくなる。
金木犀は、ただ花として美しいだけではなく、「記憶と結びつく香り」として、私たちの心に強く刻まれる存在です。
香りは視覚や聴覚とは異なり、脳の「海馬」という記憶をつかさどる部分と深くつながっており、過去の感情や出来事を瞬時に呼び覚ます力を持っています。
つまり、金木犀の香りがふとした瞬間に心を揺さぶるのは、科学的にも当然のことなのです。
ある人にとっては小学生の通学路、ある人にとっては秋の運動会、ある人にとっては祖母の家の庭。
金木犀の香りには、それぞれの人生の場面が密かに重なっています。
香りを通して、私たちは時間を超えて過去の自分と出会い直すのです。
台湾における金木犀の存在と街の風景
台湾では日本ほど多くはないものの、金木犀は確かに存在しています。
特に台北市内の公園や、少し郊外の古い町並みでは、秋の訪れとともにひっそりと花をつけ、空気に優しい香りを運んでくれます。
私が初めて台湾で金木犀の香りを感じたのは、新北市の淡水にある古い家屋の並ぶ通りでした。
風に乗ってやってきたその香りに、心が急に日本に飛んでいったような錯覚を覚えたのを、今でもはっきりと覚えています。
台湾の人々にとって、金木犀は決してポピュラーな花ではありません。
しかし、その香りに惹かれて足を止める人、スマートフォンをかざして花の名前を調べる若者、香水として身につけようとする人たちも少しずつ増えてきています。
花屋でも、稀に切り花として入荷することがあり、見つけたときには即購入するほどの人気ぶりです。
都市部ではなかなか見かけることのない金木犀ですが、台湾の高雄や嘉義など南部の温暖な地域や、標高の少し高いところでは庭木として育てられていることもあります。
台湾でも、金木犀は「ちょっと特別な秋の香り」として、密やかに愛されつつあるのです。
日本と台湾、それぞれの秋の金木犀エピソード
日本で秋の代名詞とも言える金木犀。
その開花時期は9月下旬から10月上旬にかけてで、まさに「重陽節」の季節と重なります。
小学校の校庭、公園、神社の境内など、どこにでもその香りが漂ってくる秋の数日間は、多くの日本人にとって特別な時間です。
一方、台湾では金木犀にまつわる季節の行事や伝統はまだ根付いていないのが現状です。
しかし、金木犀を通して日本文化や「秋の情緒」に触れる台湾の方は増えてきています。
たとえば、日本で暮らした経験のある台湾人が「日本の秋はキンモクセイの香りが忘れられない」と語ってくれたこともあります。
香りを通して異国の記憶が蘇るというのは、まさに文化と感情がつながる瞬間です。
最近では、いけばな教室に来る台湾の生徒さんたちにも、金木犀を使った作品を紹介するととても関心を持ってもらえます。
「こんなに小さな花なのに、どうしてこんなに強く香るんですか?」「台湾でも育てられますか?」といった質問が飛び交い、花の力が国境を越えて人の心を動かす様子に、毎回胸が熱くなります。
香りと心のつながり ― 心理学と文化の観点から
人は香りによって気分が変わったり、過去の出来事を思い出したりすることがあります。
これは「プルースト効果」と呼ばれ、特に嗅覚が他の感覚よりも記憶と密接に関係しているからだと言われています。
金木犀の香りは、フローラルで甘く、どこか懐かしさを感じさせる独特のもの。
この香りをかぐと、知らず知らずのうちに気持ちが穏やかになり、自分の内面と向き合う静かな時間が流れ出します。
まさに、いけばなの精神性と相性がぴったりなのです。
台湾では、忙しい都市生活のなかで「花を飾る」「香りを楽しむ」といった習慣がまだ一部の層にとどまっていますが、逆に言えば、その余白がある分だけ、花がもたらす感情の変化がよりダイレクトに伝わります。
金木犀のような香り高い花は、人の心の奥にやさしく触れ、「感じる時間」を自然とつくり出してくれます。
金木犀の開花がもたらす季節の気づき
金木犀の花は、決して長く咲き続けるわけではありません。
開花してからわずか数日で散ってしまうこともあります。
そのため、その香りに気づけるかどうかは、まさに「今この瞬間を感じ取れるか」にかかっているのです。
私たちは日々忙しく、季節の移ろいを感じる余裕さえ失いがちです。
しかし、ある日ふと街角で金木犀の香りに気づいたとき、「ああ、もう秋なんだ」と、季節の扉が開くような感覚に包まれます。
その一瞬の体験が、日常に深い彩りを与えてくれるのです。
いけばなにおいても、この「一瞬の美しさ」をどう捉え、どう表現するかは大切なテーマです。
花の命は短く、だからこそ一輪の中にある感情や気配をどう感じ、どう生けるかが問われます。
金木犀の香りをいけるということは、香りと記憶、季節と感情を一つに結ぶ、まさに“見えないものをいける”体験なのです。
重陽節|祖先と家族を想う台湾の秋祭り
旧暦九月九日、なぜ「重陽」なのか
「重陽節(ちょうようせつ)」という言葉を聞いたとき、日本ではあまり馴染みがないかもしれません。
しかしこの節句、実は古くから中国の陰陽思想に由来し、台湾では今も続く大切な年中行事の一つです。
旧暦の9月9日は、数字の「九」が重なることから「重陽」と呼ばれています。
中国や台湾において「陽」の数字とされる「九」が二つ重なるこの日は、強い「陽」が重なる=エネルギーが満ちすぎる日として、古来より“災いを避ける”日でもありました。
つまり、強すぎる気を調和させるために、自然や祖先、神仏に感謝し、厄払いをする日として意味づけられたのです。
また、数字の九は「久(長く)」に通じるとされ、長寿の象徴ともされています。
そこから発展し、重陽節は「高齢者を敬う日」「家族の健康と長寿を願う日」として定着していきました。
現代の台湾では、「敬老節(ジンラオジエ)」とも呼ばれ、祖父母や高齢の家族に贈り物をしたり、家族で食事を囲むなど、家庭内の絆を再確認する日となっています。
菊と重陽節の関係 ― 花と節句の文化的背景
重陽節といえば、もう一つ欠かせないのが「菊(きく)」の存在です。
中国や台湾の伝統文化において、菊は長寿や気高さを象徴する花とされ、重陽節の象徴として古くから親しまれてきました。
台湾の花市場でも、重陽節の前には黄色や白の菊が多く並び、仏壇用だけでなく、玄関や食卓に飾る家庭もあります。
一方、日本でも重陽の節句は「菊の節句」として古来より親しまれており、平安時代には宮中で「菊花の宴」が開かれていたという記録もあります。
花の露をしみこませた綿で体を拭き、無病息災や長寿を祈るという独特な風習もありました。
このように、日中台の文化の中で、菊という花は単なる観賞用を超えた“意味のある花”として共通の理解があります。
いけばなにおいても、菊は格式高い花材として扱われ、季節感や儀礼の場において大切にされてきました。
ただ、台湾では近年、菊に対して「供花」「仏花」というイメージが強くなりすぎており、若い世代の間ではあまり人気がありません。
だからこそ、金木犀のような香りの花を通して、新しい重陽節の花のあり方を提案していく意義があるのです。
台湾における重陽節の風習と現代の形
現在の台湾では、重陽節の過ごし方は家庭によってさまざまですが、以下のような過ごし方が一般的です。
- 家族で祖先に供物(果物や料理)を供える
- 菊や線香を仏壇やお墓に手向ける
- 高齢者を囲んで一緒に食事をとる
- お菓子や果物を贈ることで感謝を伝える
また、重陽節の時期になると、学校や地域のコミュニティでも「敬老活動」が盛んになります。
児童が高齢者施設を訪れたり、街の清掃活動を行ったりする姿は、この節句が単なる伝統にとどまらず、現代にも息づいていることを示しています。
一方で、都市部では仕事の忙しさから家族で集まることが難しくなっていたり、伝統行事としての意味が薄れつつある現状もあります。
そんな中で、いけばなという静かな文化を通じて、家族のつながりや祖先への感謝の気持ちを「かたち」として表現することは、今の台湾にとって新しい提案になると感じています。
家族を想う|台湾人にとっての祖先とその価値観
台湾文化の根底には「祖先を敬う心」が深く根づいています。
特に旧正月や清明節、重陽節などの節目においては、家族が集まり、仏壇や墓前で祖先に手を合わせるという風景は今も変わらず残っています。
日本では祖先崇拝の文化が戦後以降にやや薄れてきた一方で、台湾では今なお「家族=過去・現在・未来をつなぐ存在」として大切にされています。
祖先はただの亡き人ではなく、今を生きる自分たちを見守る存在であり、家の中に“居続けている”という感覚すらあります。
そうした価値観の中で、「花をいけて祖先に手向ける」という行為は、とても自然な流れです。
台湾の伝統文化といけばなが持つ精神性が交差する場所、それがまさに重陽節なのです。
いけばなが重陽節に果たす静かな役割とは
いけばなは、単なる“花を飾る”技術ではありません。
そこには「誰かを想う」「今この瞬間を感じる」「自然の命に敬意を払う」といった深い精神性があります。
重陽節という日が、祖先を想い、家族と向き合うための時間であるとすれば、いけばなはその感情に静かに寄り添うことができます。
たとえば、金木犀と数本の菊を組み合わせたシンプルな作品を仏壇に飾ることで、そこには言葉にならない感謝や祈りが自然と宿ります。
花を通して手を合わせるという行為が、心の中に深い静けさと充足感をもたらしてくれるのです。
私のいけばな教室では、重陽節の直前になると、「おばあちゃんのために花をいけたい」「お墓参りのために菊を使いたい」という生徒さんの声が増えてきます。
その中には、普段は仏教に馴染みのない若い世代の生徒も多く、花を通じて初めて“祈る時間”を経験する人もいます。
花をいけることは、誰にでもできる行為です。
そしてそれは、どんな言葉よりもまっすぐな感情を伝える手段となります。
重陽節におけるいけばなは、まさに「静かな祈りのかたち」と言えるのではないでしょうか。
金木犀をいける|香りをいけるということ
金木犀の枝ぶりと扱い方|いける際の注意点
金木犀(キンモクセイ)をいけばなに使うとき、まず向き合うのがその独特の枝ぶりです。
金木犀は木本植物、つまり木の幹を持つ花木であり、細い枝が複雑に伸びる性質があります。
そのため、草花と違って「自然な枝の流れ」をどう見せるかが、作品全体の印象を大きく左右します。
花材として扱う際には、まず枝を丁寧に観察し、どこに「動き」や「リズム」があるかを見極めることが大切です。
無理に形を整えようとせず、枝が本来持っている自然な曲線や、香りの漂い方を生かすことが、金木犀を美しくいけるための第一歩です。
切り出すタイミングにも注意が必要です。
金木犀の花はとても小さく、枝にびっしりと密集して咲くのが特徴ですが、開花後3〜5日ほどで散り始めます。
花が落ちると香りも徐々に薄れてしまうため、できるだけ満開の少し手前で採取するのが理想です。
また、枝を切ったあとはすぐに水に浸けて水揚げを行うこと。
木本系の植物は水が通りにくい性質があるため、枝元を斜めにカットしたうえで、場合によっては枝の根元を少し叩いて導管を開いてあげると、水の吸い上げがよくなり、香りも長持ちします。
香りを主役にした花の構成|香るいけばなの美学
いけばなでは「形」「色」「空間」のバランスが重要ですが、金木犀を使う場合、もうひとつ大切にしたいのが「香り」の存在感です。
つまり、視覚的な構成だけでなく、「香りがどう空間に広がるか」まで意識することが、金木犀の魅力を最大限に引き出す秘訣です。
金木犀の香りは非常に強く甘いため、それを際立たせすぎると、空間が重く感じられることもあります。
そこでポイントになるのが、「引き算」の美学です。
金木犀を主役にした場合、周囲の花材は控えめな色合いとシンプルな形を選ぶことで、香りの余白が生まれ、香りそのものが作品の一部として自然に溶け込んでいきます。
たとえば、白いスプレー菊やグリーンのドラセナ、あるいはガマの穂などを添えると、金木犀の香りを邪魔せず、秋らしい風情を演出できます。
また、香りの広がり方は風通しや光の当たり方にも左右されるため、いける場所(床の間、玄関、リビングなど)によって構成を調整するのも一案です。
このように、「目に見えない香り」をどう作品に織り込むかを考えることで、金木犀を使ったいけばなは視覚と嗅覚の両方に訴える、非常に奥深い表現になります。
相性の良い花材|おすすめ5選
金木犀はその香りゆえに、組み合わせる花材の選び方がとても重要です。
香り同士がぶつかってしまうと、どちらの良さもかき消されてしまうため、慎重に選ぶ必要があります。
ここでは、香りを引き立て、秋の雰囲気を演出してくれる花材・枝物を5つご紹介します。
- 白菊:菊の静かな気品と金木犀の香りが、重陽節の精神性と調和します。
- ユキヤナギ(早秋に出回る):細くしなやかな枝が金木犀の丸みを引き立てます。
- 南天の実:赤い実がアクセントとなり、香りの中に秋の色を添えます。
- アレカヤシ:南国らしい風合いで、台湾らしいアレンジに仕上がります。
- ススキ:秋の風情を表現するには欠かせない素材。金木犀との対比で動きを出します。
これらを組み合わせる際は、「香りの強弱」「色のコントラスト」「枝の動き」を意識して調整すると、美しい調和が生まれます。
花材の選び方一つで、作品の印象がぐっと変わるのが、いけばなの面白さです。
水あげ・日持ちのコツ|金木犀を長く楽しむために
金木犀は香りが魅力ですが、その香りは非常に繊細で、適切なケアを怠るとすぐに散ってしまいます。
特に台湾のように湿度が高く気温も高い環境では、日持ちさせるための工夫が必要です。
まず水あげの基本として、切り口は必ず斜めにカットし、水をよく吸い上げられるようにしましょう。
枝の根元をハンマーなどで少し潰す「割り入れ処理」も効果的です。
バケツにたっぷりの水を張り、切り出した直後の枝を1〜2時間ほどつけ置きしてからいけると、花の持ちが格段に良くなります。
また、室内の置き場所にも配慮を。
直射日光が当たる場所は避け、風通しがよく、温度が安定している場所に置くのが理想です。
湿気の多い台湾では、花器の水が腐りやすいため、毎日の水替えと茎の洗浄は欠かせません。
さらに、香りを楽しみたい場合は、朝や夕方など空気が落ち着く時間帯に香りが一番感じやすくなるため、その時間に部屋の換気をすることで、金木犀の香りを最大限に引き出すことができます。
香りを閉じ込める花器選びと空間の演出法
金木犀をいけるとき、花器の選び方にも香りを効果的に届けるためのヒントがあります。
香りのある花は、その香りが「どう漂うか」までを含めて作品と考えると、花器は単なる土台ではなく、香りの“発信装置”にもなり得るのです。
たとえば、低く広がる口の広い浅い花器を使うことで、香りはより広い範囲に拡散されやすくなります。
一方で、香りを一点に集中させたい場合は、細口の縦長の花器を使い、空間の中で香りの存在感を際立たせる方法もあります。
また、陶器の花器を選ぶと、金木犀のオレンジ色や枝の質感と調和しやすく、落ち着いた印象を与えます。
ガラス製や金属製の花器はやや無機質な印象になりがちなので、香りの温かみとズレないように工夫が必要です。
空間演出としては、いけばなの周囲に香炉やキャンドル、木製の小物を置くことで、「香りのある世界」をより豊かに演出できます。
たとえば、台湾で人気のウッド系アロマと金木犀の香りを合わせることで、和と洋、東洋と
花とともに祈る|祖先への想いを形にするいけばな
献花としてのいけばな|台湾の供花文化との融合
台湾では、仏壇やお墓に花を手向ける「供花(ごけ)」の文化が今でも深く根づいています。
特に旧正月、清明節、重陽節など節目の行事には、家族が揃って祖先を敬い、果物や食事とともに花を供えるのが一般的です。
日本と比べても、台湾の供花はより日常的で、家庭内の信仰と生活の一部として息づいています。
供花に使われる花材は地域や宗派によって異なりますが、一般的には白や黄色の菊、百合、カーネーション、そして南天などの実物が定番とされています。
市場や花屋には、そうした供花用の「仏花セット」が常に用意されており、人々の暮らしにしっかりと根を下ろしているのが分かります。
そんな台湾の供花文化の中に、日本のいけばなが持つ「個人の祈りのかたち」を取り入れてみると、より深く静かな心の表現が生まれます。
いけばなは決して大げさではなく、むしろ静けさの中にこそ本質があります。
金木犀を一枝、菊を一輪、そして自分の想いを込めた花を添えるだけで、それは誰かに捧げる特別な祈りの形となります。
このように、台湾の伝統的な供花にいけばなの精神を重ねることで、より個人的で意味深い「花を通した敬意の表現」が可能になるのです。
色彩と花材の意味|花で語る祈りのメッセージ
いけばなにおいて、色彩は非常に大きな意味を持ちます。
特に祈りや供花の場面では、選ぶ色や花材そのものに込められた象徴性を意識することで、作品のメッセージ性が格段に深まります。
たとえば、白は「清らかさ」や「純粋な想い」、黄色は「感謝」や「希望」、赤は「生命力」や「情熱」、紫は「祈り」や「精神性」を象徴するとされています。
金木犀のオレンジ色は、光と温かさ、そして懐かしさの象徴。
これは、祖先への感謝の気持ちや、「あなたのことを今も思っていますよ」という温もりある想いを表現するのにぴったりです。
花材の意味にも注目してみましょう。
- 金木犀:香りで記憶を呼び起こす。存在そのものが“想い出”の象徴。
- 菊:不老長寿・高潔な心。供花の定番として長年親しまれている。
- 南天:難を転じる縁起物。供花や祝いの席にも使われる。
- 竜胆(りんどう):誠実な心・寂しさ。深い青が静かな祈りを表現。
- ワレモコウ:野の花らしい控えめな美しさ。過ぎ去った時間への敬意。
このように、花一つ一つには意味があります。
祈りのいけばなでは、技術や構成の美しさだけでなく、「なぜこの花を選んだのか」「どんな気持ちを伝えたいのか」という“心のストーリー”が、何よりも大切になるのです。
シンプルで深い祈りの形|初心者でもできる供花の例
いけばなというと「難しい」と思われがちですが、祈りを込めるいけばなは、むしろシンプルであるほど心に響きます。
初心者の方でも、少ない花材で深い想いを表現することができるのが、祈りのいけばなの魅力です。
以下は、台湾の家庭でもすぐに取り入れられる、シンプルな供花のいけばな例です。
例1:金木犀と一輪の白菊
小さめの花器に、金木犀を斜めに一枝。根元に一輪の白い菊を添えるだけで、優しく静かな印象になります。香りと静けさの対比が、心に深く沁み入る一作。
例2:南天と金木犀の紅白構成
南天の赤い実と、金木犀のオレンジの花を対に配置。華やかさの中にも、温かな家庭の祈りを感じさせる構成になります。旧正月前の供花としてもおすすめ。
例3:木の枝と金木犀だけの直線構成
無地の細長い陶器に、木の枝一本と金木犀をすっと立てる。装飾を一切排除した構成は、無言の中に深い祈りを込められるミニマリズムの美です。
このように、「たくさんいける」のではなく「心を込めて選び、丁寧にいける」ことが、祈りのいけばなにおける最も大切な姿勢となります。
家族と囲む花|食卓や仏壇に花を添える意味
台湾では、家族と食卓を囲む時間を非常に大切にしています。
重陽節の日に祖父母や両親と食事をともにすることは、それ自体が“祈りの儀式”のようなものです。
そこに一輪の花を添えることで、その空間は一段と温かみを帯びたものになります。
たとえば、テーブルの中央に金木犀をいけた小さな器を置くだけで、その香りが会話をやさしく包み、自然と笑顔が生まれます。
香りは記憶と強く結びついているため、何年か経っても「重陽節の金木犀の香り」として、その日のことを思い出すきっかけとなるでしょう。
また、仏壇に花を供えることも、「故人と共に食卓を囲む」大切な表現です。
花を通して目に見えないつながりを感じ、亡き人との対話を続ける。
いけばなは、そうした見えない関係性をそっと支えてくれる存在でもあるのです。
家族と共に花をいけるという時間もまた、大切な記憶になります。
小さなお子さんと一緒にいけることで、「祈りの文化」を自然に伝えていくことができるのも、花の大きな力のひとつです。
花をいける時間がもたらす“静かな癒し”
現代の生活は、情報とスピードに溢れています。
そんな中で、手を止めて花と向き合い、何も考えずに一枝をいける時間は、驚くほど心を整えてくれます。
金木犀の香りに包まれながら、誰かを想い、自分と向き合う。
その静かなひとときは、言葉にならない癒しをもたらしてくれます。
いけばなには、誰かのために花をいけることで、自分自身が救われるという不思議な力があります。
たとえば、「もう会えない人」のために花をいけるとき、その人への想いを再確認し、そして静かに手を合わせることで、心がほんの少しだけ軽くなるのです。
花をいけるとは、誰かのためであり、自分のためでもある。
そんな心の交差点に立ち会えるのが、いけばなという芸術であり、文化であり、そして癒しなのです。
季節の終わり|香りを記憶に刻むいけばな時間
金木犀の香りが残る季節|秋の終わりと余韻
秋の入り口を告げるようにふわりと香る金木犀。
その香りが街角から姿を消す頃、私たちは季節がまた一つ、静かに移ろうのを感じます。
金木犀の花期はとても短く、数日から一週間程度で花が落ち、香りも薄れていきます。
その短さが、むしろ私たちの心に深く残る理由なのかもしれません。
台湾の秋は、気候としては日本よりも温暖で、明確な「秋冷」を感じにくい土地柄です。
しかし、金木犀の香りが通りを包む瞬間、その空気はたしかに「秋の気配」をまといます。
日差しが柔らかくなり、風の匂いが少し変わる。
その小さな変化を、花は誰よりも早く知らせてくれるのです。
季節の終わりをただ「寂しい」と感じるのではなく、その余韻を楽しみ、香りとともに記憶に刻むという感性。
これはまさに、いけばなが私たちに教えてくれる“感受性”の世界です。
一輪の花を通して、「いま、ここにある命」に意識を向ける。
それは、日常の喧騒を離れて、自分の内面と静かに向き合うきっかけになります。
金木犀の散り際に、ほんのりと残る香り。
それを感じたときに、「ああ、今年も秋が終わるな」と、心が季節と対話するのです。
短い命をいける美しさ|はかなさといけばなの哲学
いけばなには、他の芸術とは異なる特性があります。
それは、「いけた瞬間から、枯れ始める」という事実です。
完成したその時が最も美しく、そこからは緩やかに老い、そして終わりに向かっていく。
その儚さこそが、いけばなの本質であり、美の哲学とも言えるのです。
金木犀は特にその“はかなさ”を強く感じさせる花です。
開花してから数日のうちに小さな花がはらはらと散り、香りも次第に消えていきます。
しかしその過程すら、いけばなでは「美しさの一部」として受け止めます。
枯れゆく花もまた、命の流れの中にあり、その姿にこそ深い情感が宿るのです。
これは日本の「無常観」とも深く結びついています。
すべてのものは移ろい、常に変化し続ける。
その儚さの中にこそ、真の価値があるという考え方。
いけばなは、そうした思想を花を通して伝える文化でもあるのです。
金木犀をいけるという行為は、ある意味では「香りの命」をいけることでもあります。
花が咲き、香りが広がり、やがて終わる――その一連の流れすべてが一つの作品であり、一つの物語。
いけばなを通して私たちは、「終わりの美しさ」と出会うことができるのです。
花と記憶を結ぶ|子どもや家族と共有する時間
花を通じて何かを「記憶する」という行為は、とても深く、やさしいものです。
特に家族や子どもと一緒に花をいけるという時間は、その香りや手触り、色合いとともに、大切な思い出として心に残ります。
金木犀の香りを感じながら、「これはね、おばあちゃんが好きだった香りなんだよ」「この花が咲くと秋が来るんだよ」と、そんな会話を交わすだけで、花は単なる植物ではなく、「物語を持つ存在」になります。
子どもはその話を覚え、大人になってもふとした香りにその思い出を呼び起こすでしょう。
台湾ではまだまだ家庭でいけばなをする文化は少ないですが、最近では「親子で楽しむいけばなワークショップ」も少しずつ増えてきています。
私の教室でも、重陽節前後には親子で参加される方が増え、「おじいちゃんのために一緒に花をいけたい」という声もよく耳にします。
花を通して、感謝や思いやりの心を自然に学ぶ。
その時間は、技術以上に価値のあるものです。金木犀のような香りの花は、その体験をより深く、印象的なものにしてくれるのです。
花で時間を留める|写真や日記に残すいけばなのすすめ
いけばなは時間芸術です。
一期一会の瞬間をいけたその日、花はたしかにそこに存在し、数日後には姿を変えていきます。
だからこそ、その一瞬の美しさを「留める」手段として、写真や言葉で記録することをおすすめします。
たとえば、金木犀をいけたその日の香り、家の中に広がった空気の変化、自分の心の動き。
それらを数行でもいいので日記やSNSに書き留めておくと、数年後にその記憶が香りとともに甦ってくるのです。
「2025年の重陽節、祖母の遺影の前に金木犀をいけた。香りがやさしくて、涙が出そうになった。」
そんな一文だけでも、それは心の中に残る大切な記憶になります。
また、スマートフォンで花を撮影しておくことも、現代ならではの記憶の方法です。
後から見返して、「このときはこんな気持ちだったな」と思い出せるように、花の写真はただの美しさではなく、自分自身の内面の記録でもあります。
花とともにある生活は、時間をただ流すのではなく、“味わう”ことを教えてくれます。
そして金木犀の香りは、そうした時間の中に、ひときわ深い余韻を残してくれるのです。
来年もこの香りに会いたくなる ― 季節をめぐる心の準備
金木犀の香りが過ぎ去ると、自然と「また来年もこの香りに会いたい」と思うようになります。
それは、いけばなを通して季節と対話し、「時間を大切にする感覚」が育ってきた証です。
季節の花をいけるというのは、カレンダーをめくるよりも深く、“時の流れ”を体感すること。
だからこそ、また来年、同じ季節に金木犀をいける自分でいようと、小さな決意が生まれたりもします。
いけばなは、人生に季節のリズムを与えてくれます。花とともに季節を迎え、送り出す。
その繰り返しの中で、私たちは自分自身と向き合い、今を丁寧に生きようとするのです。
来年、また金木犀が香る季節に、同じ場所で同じように花をいけるかもしれないし、いけないかもしれない。
だからこそ、今年この瞬間の香りをしっかりと記憶に刻むことが、いけばなを通して生きるということなのです。
まとめ|香りがつなぐ心と季節、金木犀とともに祈るいけばなの時間
金木犀の花がもたらすのは、ただの「秋の香り」ではありません。
それは、過去の記憶を呼び覚まし、今の自分と静かに向き合わせてくれる不思議な力を持っています。
台湾という地で、ふと風に乗って届く金木犀の香りは、日本の秋を懐かしく思い出させるだけでなく、この土地にも確かに「季節の移ろい」があることを、心に優しく知らせてくれます。
そして、重陽節という祖先を敬い、家族の長寿を願う節句と出会うことで、金木犀はいけばなの中に新たな意味を持ち始めます。
それは、目には見えない「想い」を花に託し、香りとともに捧げるという、心の行為。
金木犀をいけることは、香りの記憶をいけることでもあり、過去と未来、そして今この瞬間を大切に生きるという“いけばなの哲学”そのものです。
香りは消えても、心に残る記憶と感情は、静かに、そして確かに私たちの中に残ります。
この秋、あなたも一枝の金木犀をいけてみませんか?
誰かを想いながら、あるいは自分自身の心と向き合いながら。
きっとその香りは、季節を超えてあなたの心の中に、優しい記憶として咲き続けてくれるはずです。